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焼き鳥と釜飯の店「鳥へい」が36周年 コロナ禍はSNSと昼飲みに注力

昼営業の看板を持つ「鳥へい」店主・長谷川一平さん

昼営業の看板を持つ「鳥へい」店主・長谷川一平さん

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 経堂西通り商店会の焼き鳥と釜めしの店「鳥へい」(世田谷区経堂3)が10月3日で36周年を迎えた。

昭和が残る「鳥へい」の2階座敷

 店主・長谷川一平さんは1946(昭和21)年生まれの73歳。仙台の大学を卒業後、昭和40年代半ばから東京の大手アパレルメーカーに勤務。紳士服の営業を担当していたが脱サラ。1984(昭和59)年、同店を開いた。

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 長谷川さんは「昭和50年代、厳しいノルマに苦しみ、いつも桜上水のアパートに帰るのは深夜だった。不器用で営業成績が悪く、上司に怒られてばかり。近所の居酒屋で焼き鳥とビールで愚痴や暗い話ばかりしていたら大将にいさめられ、彼が修業した銀座の焼き鳥と釜飯の老舗を紹介してもらった。30歳を過ぎていたが、修業は厳しくも楽しかった。仕事を覚えて独立。初めは若者の街・下北沢に出したかったが、家賃が高く予算オーバー。予定を経堂に変更して、ちょっと外れの西通りで店をやることにした。それも自分らしいと思う」と振り返る。

 創業すると近隣の事業所や工場勤務の客、経堂在住のサラリーマンでにぎわい、2階の座敷は地元の家族連れ、東京農業大学のサークルも出入りするようになった。しかし6年後にバブル崩壊。それから増税やリーマンショック、東日本大震災など、ビジネスを巡る環境は数年に一度、大きな変化を強いられた。 

 「バブル崩壊以降、経堂かいわいは高級な店が減り、安いチェーン店が増えた。城山通りに銀座・三笠会館の支店があり、駅北口に料理の鉄人を破ったシェフのフレンチがあった。銀行の金利が良かった時代は、旦那の退職金を預金して管理する奥さんには年間100万円を超える利子収入も珍しくなく、そのお金で子や孫など家族大勢を連れて、すし屋、中華屋、そば屋なんかで外食する光景も普通だった。何しろ平成の初めのころは定期預金の金利が6%という時期もあったから。うちの2階もいろいろな家族が頻繁に使ってくれたが、やがて、銀行の金利はゼロに近くなり、非正規の労働者が増え、この30年は一般人の可処分所得がどんどん少なくなったと感じる」 

 「何か起きる度に営業内容を見直しながら店の存続を図ってきた。2000年代に入って数年は、お屋敷街に暮らす引退した夫婦の自宅で和食のコースを作る出張料理をやり、『世田谷ライフ』などの雑誌にも取り上げられた。あの時期は釜飯の出前も良かった。リーマンショック後は、かつての自分のような悩めるサラリーマンが増え、終電近い時間に『朝から忙しくてほとんど何も食べてない』と言う20~30代が定食を食べ、サワーを飲みながら職場の悩みを話す深夜食堂だった」

 長谷川さんは18年前、55歳の時に太極拳を学び始め、2014(平成26)年には本場・中国の安徽省池州市で開催される「世界伝統武術フェスティバル」にシニア枠で出場した。 

 「50代になって体を動かし始めたのが、70を超えた今も現役でやれている理由だと思う。後は年をとるほど偉そうな顔や話をするのをやめて、できるだけ20代の学生やミュージシャンに負けないくらいバカな話をするのが大事。年下ともフラットに付き合って、同じ時代を共有する。そうすると常連客の平均年齢が若いまま。普通、個人の居酒屋は店主と一緒に常連が高齢となり、客数が減り、営業が行き詰まるケースが多いが、うちは逆。後はブログも始めて15年になるし、ツイッターもメニューを毎日投稿している。自分も店も料理も昔ながらの昭和だが、逆に面白がって来てくれる若いカップルがいて励みになる。やはり発信は大事」

 SNSを操り、時代の移り変わりに合わせて営業スタイルを変えてきた長谷川さんが、コロナ後に導入しているのが昼飲み。 

 「新型コロナウイルスの影響はバブル崩壊やリーマンショックの時よりも深刻。それでも店を続けなければいけない。緊急事態宣言でロックダウン状態だった4月に観察していると、リモートワークの仕事を早めに終わらせ、明るい時間から飲みたいパターンもあると分かってきた。5月に昼の定食を始めたが、飲みたい客には居酒屋営業をすることにして、それが続いている。客が1人ということもあるが、それでも日々の積み重ねが大事。今はゲリラ戦の時代だから」

 「80過ぎても若い人たちに囲まれてバカを言って笑っていたい」と意気込む長谷川さんは引き続き営業を続ける。wi-fi完備。2階のビジネス利用も。店内は酒場のマナーを守る客のみ利用可とする。

 営業時間は、昼=11時30分~14時、夜=18時~24時。水曜・木曜定休。テークアウトにも対応。

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