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焼き鳥と釜飯の店「鳥へい」店主の一平ちゃんが喜寿 常連客らが祝う

常連客からプレゼントされたガーベラの花束を手にする長谷川一平さん

常連客からプレゼントされたガーベラの花束を手にする長谷川一平さん

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 経堂西通り商店会の焼き鳥と釜飯の店「鳥へい」(世田谷区経堂3、TEL 03-3439-3822)店主の長谷川一平さんが11月7日、77歳の誕生日を迎えた。

鳥へいのつくね串焼きと銀杏串焼き

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 1946(昭和21)年生まれの長谷川さんは仙台の大学を卒業後、昭和40年代半ばから東京の大手アパレルメーカーに勤務。紳士服の営業を担当していたが脱サラ。飲食業での修業を経て、1984(昭和59)年、同店を開いた。

 長谷川さんは「昭和50年代の日本はオイルショックの影響が深刻だった。まだまだモーレツな働き方が美徳とされ、ノルマが大変な上に、口下手で不器用だったから営業成績が悪く、上司に怒られてばかりのサラリーマンだった。いつも桜上水のアパートに帰るのは深夜。近所の居酒屋で焼き鳥とビールで愚痴や暗い話ばかりしていたら大将にいさめられ、銀座の焼き鳥と釜飯の老舗を紹介してもらった。30歳を過ぎていたが思い切って転職。修業は厳しかったが、自分には職人仕事が向いていると感じた。仕事を覚えて独立。初めは若者の街・下北沢に出したかったが家賃が高く、経堂で店を開くことにした」と振り返る。

 開業すると近隣の事業所や工場勤務の客、経堂在住のサラリーマンでにぎわい、2階の座敷は地元の家族連れ、東京農業大学のサークルも出入りするようになった。しかし6年後にバブル崩壊。それから増税やリーマンショック、東日本大震災、コロナ禍、戦争や円安の影響による物価高など、ビジネスを巡る環境は何度も大きな変化を強いられた。

 「バブル崩壊から20年ほどの間に、経堂かいわいは高級な店が激減した。城山通りに銀座・三笠会館の支店があり、駅北口に料理の鉄人を破ったシェフのフレンチがあった。銀行の金利が良かった時代は、夫の退職金を預金して管理する妻には年間100万円を超える利子収入も珍しくなく、そのお金で子や孫など家族大勢を連れて、すし屋、中華屋、そば屋などで外食する光景も普通だった。何しろ平成の初めのころは定期預金の金利が6%という時期もあったから。うちの2階もいろいろな家族が頻繁に使ってくれたが、やがて、銀行の金利はゼロに近くなり、非正規の労働者が増え、さらに税金や社会保障費、物価全般が上がり、一般人の可処分所得がどんどん少なくなっている」 

 長谷川さんは22年前、55歳の時に太極拳を学び始め、2014(平成26)年には本場・中国の安徽省池州市で開催される「世界伝統武術フェスティバル」にシニア枠で出場した。

 「50代になって体を動かし始めたから、今も現役でやれていると思う。後は、若い人たちとのばか話が大事。年上だからといって偉そうにしない。年下ともフラットに付き合って、今の時代の空気を感じないと。普通、個人の居酒屋は店主と一緒に常連が高齢となり、客数が減り、営業が行き詰まるケースが多いが、うちは逆。自分も店も料理も昔ながらの昭和だが、どんどん店の様子やメニューをSNSで発信するようにしている。それが珍しいと、わざわざ電車に乗って、面白がって来てくれる20代のカップルや女子のグループが少なくない。老いも若きも同じように楽しめる雰囲気と発信は大事」

 若い世代の常連客に『一平ちゃん』の愛称で呼ばれる長谷川さんは10月、同店の40年目を機に13回目の契約更新を行った。

 「まだ何とか体も動くし、お客さんも来てくれるので、新たに3年契約を更新することにした。3年後、自分は80歳になる。コロナになってすぐ、自分がいたアパレルメーカーが倒産したと聞いた。落ちこぼれだった俺がこうやって経堂の街で生き残ることができているのは不思議だが、激動の世の中を生きるには、案外、身軽で小さい商売が良いのかもしれない。コロナ禍で夜型の人が減り、大多数の人たちの活動時間帯が早くなった。経堂かいわいでは、フリーランス、有休のサラリーマン、年金生活者の昼飲み需要が高まっている。昼から通し営業していると、案外、新しいお客さんがついてきて面白い。これからも時代の変化を細かく観察、対応しながら、街の個人店として生き残っていきたい」

 営業時間は13時~23時。水曜・木曜定休。テイクアウトにも対応。

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