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経堂の食堂「さかもと」が47年の歴史に幕 店主は銀座のドイツ料理出身

営業していた頃の「さかもと」外観

営業していた頃の「さかもと」外観

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 経堂西通りで1973(昭和48)年から営業を続けてきた食堂「さかもと」が6月17日、47年の歴史に幕を閉じた。

「さかもと」の日替わり定食

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 同店を創業当時から知る経堂の映画配給会社ピカフィルムの飯田光代さんは「看板には食事処とあったが、開店当時からしばらくは本格的な洋食屋。店主でコックの下西さんは、昭和のグルメが通ったドイツ料理店、銀座『ケテル』で腕を磨いた人。幻のメニューとなってしまったハンバーグ・ステーキは絶品で、自家製ドミグラソースがたっぷりかかっていた。付け合わせのポテトサラダはケテルと同じレシピ。手間暇掛けて作りながら800円と安価で常に庶民の味方だった」と振り返る。

 経堂住人に愛された店の閉店を惜しむ声は他にも聞かれる。都心の出版社勤務の大久保幹人さんは「日替わりが良かった。焼肉に添えられたサラダのキャベツがシャキシャキ、都心で修業した職人の技術を感じた。カニクリームコロッケのサクッとした歯応えとジュワッとくるホワイトソースのうま味も忘れられない。カツオのたたきやサンマの塩焼きのセットもあり、好みの魚や肉料理が組み合わせて食べられる懐の広さも愛された理由では。街の名店が相次いで無くなり、直接別れを言えず残念だが、せめて書面で伝えたいという思いが込められた『舌代』から始まる貼紙に何か哀しさを感じた」と、話す。

 放送作家の山名宏和さんは「カキフライが苦手だったが、ある日突然、カキフライが食べたくなり注文した。衣がサクサク軽く、中身のカキはクセが無く、かむと口の中いっぱいにうま味が広がった」と思い出を明かす。

 アパレルメーカー勤務の村上由夏さんは「小さな店で印象深かったのは、人が1人通れるかどうかくらいの幅の狭い勝手口。実は店内に厨房と飲食スペースをつなぐ出入り口が無く、マスターが作った定食をカウンターに置くと、おかあさんは配膳のため勝手口からいったん外に出て玄関から店に入らなければならなかった。晴れでも雨でも風でも雪でも春夏秋冬いつでも笑顔で店の中と外を出入りしていたのが忘れられない」と懐かしむ。

 「舌代」の2文字で始まる貼り紙には「誠に恐縮乍ら 諸般の事情(体力限界)に依り 店終いとさせて頂きます。永きに渡り本当に有難う御座居ました。お客様各位 お食事処さかもと店主敬白」(原文ママ)と記されており、連日、シャッターが閉まった店の前に立ち止まり、この文面を読んでは残念そうに立ち去る人が絶えない。

 同店の47年間を見続けてきた飯田さんは「店のファンにとっては実に寂しいことだが、下西さん夫妻は、老後はゆっくり過ごされたいと閉店を決意した。ありがとう『さかもと』、そして下西さんご夫妻。本当にお疲れさま。ゆっくり休んでほしい」と笑顔で涙ぐんだ。

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