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成城三丁目緑地を「まちの里山」に 地域ボランティア活動が20年

「成城三丁目緑地 里山づくりコア会議」の会長を務める栗林勝彦さん

「成城三丁目緑地 里山づくりコア会議」の会長を務める栗林勝彦さん

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 成城在住の栗林勝彦さんが成城三丁目緑地(世田谷区成城3)を「まちの里山」にするために続けてきたボランティアが活動開始から20年目を迎えている。

国分寺崖線の一角にある緑地には2か所の湧水があり、急峻な崖や回遊路がある

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 立川から続く国分寺崖線は太古の昔、武蔵野台地を多摩川が侵食して生まれた斜面で、湧水が出るため植生に恵まれ、世田谷区内でも7キロにわたって緑の帯を形成している。同緑地は、その一部で、戦前は皇室の財産である御料林、その後は長く営林署官舎地だったが、現在は世田谷区が管理する。約2ヘクタールの土地に2カ所の湧水があり、木々や草花が育ち、サワガニやカブトムシなどさまざまな生き物が棲む。

 この緑地を「まちの里山」として育てるため、2001(平成13)年7月に立ち上がったのが「成城三丁目緑地 里山づくりコア会議」。同団体は地域住民が中心となり、行政・学校・中間支援組織などとも連携し、保全活動を進めてきた。

 小学2年生の時から近隣で過ごし、周辺が宅地開発化される前から、この辺りで遊んできた栗林さんは「まだ都市ガスも通っていなかった時代は、クヌギやコナラなどの落葉樹は炭や薪(まき)として土地の人々に重宝されていた。湧水は田んぼに引かれ、斜面では竹の子や山菜も育っていた。そうした自然の恵みを生かした暮らしを、わずかでも後世に伝え残したいというのが、まちの里山づくりのテーマ」と話す。

 地域が急激に宅地化したのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃。変わりゆく風景を毎日眺めながら、栗林さんは人の手が入っていない緑地の保全の必要性を思案していたという。

 平成に入り、世田谷区が区内の緑の保全と活用を促進するプロジェクトを企画。栗林さんは誘われて「国分寺崖線の緑保全と活用」チームに参加。複数の候補地の中から、成城三丁目緑地が選ばれて「せたがや里山づくり」プロジェクトが本格化。前述の「里山づくりコア会議」が発足した。

 「2ヘクタールの広い緑地だから、少人数では何もできない。そこで近所の明正小学校に話を持ち込んだら、ちょうど総合学習授業が導入され、里山づくりは体験型授業の内容にぴったりだというので参加してくれることになった」

 現在は平均10人ほどのボランティアが定期的に集まり、世田谷区の「世田谷トラストまちづくり」の職員と共に、小学生や高校生、社会人も参加して、竹の間引き、落葉かき、腐葉土作りや園路整備など、季節ごとに作業している。「参加した子どもたちが楽しそうに手伝い、昆虫や水生生物を見つけて歓声を上げる。そんな様子を見るのが楽しみ」と栗林さんは話す。

 「ササが伸びすぎると虫や草花は育たない。落葉を集めて腐葉土を作ると、それが新しい草花を育てる土壌になる。間引きした木々にはシイタケが育つ。里山の自然は人の手を入れながら循環させることで、豊かな生態系を育み、新たな恵みを与えてくれる。それを、地域の小学生たちにも体験させてあげたい」

 「自然を相手にする活動だから、関わる皆さんの間で変な争いもない。世代を超えたつながりができた理由も、そこ。里山づくり体験をした子の中から農業や林業を志した人がいたのが喜ばしい」とも。

 1月には萌芽更新の樹木伐採、2月には「里山体験教室」を緑地内で開く予定。

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