食べる

焼き鳥と釜飯の店「鳥へい」が37周年 名物店主も75歳に

長谷川一平さん

長谷川一平さん

  • 23

  •  

 経堂西通り商店会の焼き鳥と釜飯の店「鳥へい」(世田谷区経堂3、TEL03-3439-3822)が10月3日で37周年を迎え、店主の長谷川一平さんが11月7日で75歳となった。

昼飲みのカウンター

[広告]

 1946(昭和21)年生まれの長谷川さんは仙台の大学を卒業後、昭和40年代半ばから東京の大手アパレルメーカーに勤務。紳士服の営業を担当していたが脱サラ。1984(昭和59)年、同店を開いた。

 長谷川さんは「昭和50年代もオイルショックの影響が深刻だった。ノルマが大変な上に、口下手で不器用だったから営業成績が悪く、上司に怒られてばかりのサラリーマンだった。いつも桜上水のアパートに帰るのは深夜。近所の居酒屋で焼き鳥とビールで愚痴や暗い話ばかりしていたら大将にいさめられ、大将が修業した銀座の焼き鳥と釜飯の老舗を紹介してもらった。30歳を過ぎていたが思い切って転職。修業は厳しかったが、職人仕事が向いていると感じた。仕事を覚えて独立。初めは若者の街・下北沢に出したかったが家賃が高く、経堂で店を開くことにした」と振り返る。

 創業すると近隣の事業所や工場勤務の客、経堂在住のサラリーマンでにぎわい、2階の座敷は地元の家族連れ、東京農業大学のサークルも出入りするようになった。しかし6年後にバブル崩壊。それから増税やリーマンショック、東日本大震災、コロナ禍など、ビジネスを巡る環境は数年に一度、大きな変化を強いられた。 

 「バブル崩壊から20年ほどの間に、経堂かいわいは高級な店が激減した。城山通りに銀座・三笠会館の支店があり、駅北口に料理の鉄人を破ったシェフのフレンチがあった。銀行の金利が良かった時代は、旦那の退職金を預金して管理する奥さんには年間100万円を超える利子収入も珍しくなく、そのお金で子や孫など家族大勢を連れて、すし屋、中華屋、そば屋などで外食する光景も普通だった。何しろ平成の初めのころは定期預金の金利が6%という時期もあったから。うちの2階もいろいろな家族が頻繁に使ってくれたが、やがて、銀行の金利はゼロに近くなり、非正規の労働者が増え、一般人の可処分所得がどんどん少なくなっていると感じる」 

 長谷川さんは20年前、55歳の時に太極拳を学び始め、2014(平成26)年には本場・中国の安徽省池州市で開催される「世界伝統武術フェスティバル」にシニア枠で出場した。 

 「50代になって体を動かし始めたから、70代半ば、後期高齢者になった今も現役でやれていると思う。後は、若い人たちとのバカ話が大事。年上だからと偉そうにしない。年下ともフラットに付き合って、同じ時代を共有する。うちは常連客の平均年齢が若い。普通、個人の居酒屋は店主と一緒に常連が高齢となり、客数が減り、営業が行き詰まるケースが多いが、うちは逆。後は、ブログやツイッターにも投稿を続けている。自分も店も料理も昔ながらの昭和だが、逆に面白がって来てくれる若いカップルがいたりして面白い。やはり発信は大事」

 SNSを操り、時代の移り変わりに合わせて営業スタイルを変えてきた長谷川さんが、コロナ後に導入しているのが昼飲み。

 「コロナになって間もない昨年5月、自分がいたアパレルメーカーが倒産したと聞いた。落ちこぼれだった俺がこうやって生き残れているのは不思議だが、激動の世の中を生きるには、案外、身軽で小さい商売が良いのかもしれない。コロナで大きく変わったことの一つに、夜型の人が減り、朝早くから活動を始め、夜も早くに寝る人が増えたことがあると思う。経堂かいわいはフリーランスも多いので、当面、昼から夜早めの時間までの通し営業にして昼飲み需要にも応えたい」と言う。

営業時間は11時30分~23時。水曜・木曜定休。テークアウトにも対応。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース